坐禅のススメ

皆さんは、『坐禅』と聞くと何を思い浮かべますか?  (English)

zazen イラスト○ ストレスが無くなり、悟りがひらける。
集中力がつき、仕事がこなせる。
○ 姿勢が良くなり、心身が健康になる。
○ 足の痛みに耐え、忍耐強くなる。
○ 警策で叩かれ、喝が入る。

などでしょうか?

私も、足の痛みと眠気に耐え、真面目に頑張って坐っていれば、根性が鍛えられ、神秘的な体験により悟りが開けて、今よりマシな人間になれると、何かしらの期待を坐禅にしていました。

思い返すと私は、小さい頃から「認められたい、褒められたい、金持ちになりたい、だれにも負けない能力を身に着けたい」と常に満たされない息苦しさを感じながら、右往左往していました。

ところが、禅僧になった私のベクトルは180度転換しました。他人の評価を気にして見栄を張り、他者より優位で楽な場所目指して損得ばかりに重きを置く生き方から、豊かな自然の中で呼吸を楽しみ、磨き落すシンプルな生き方へと。

日頃、私たちは、必ずと言っていいほど自分にとって望ましい成果が得られることを期待して行動してしまいます。しかし、坐禅だけは、例外だと私は思います。それは、あるがままの自分に徹底して目覚めることだからです。あるがままの自分に目覚め続けるには、理想の自分になろうと努力するのではなく、今の自分に徹底して親しむところから始めなければなりません。
理想に向かって頑張ろうと力むほど、窮屈に感じたり、かえって落込んだりした経験が、皆さんにもあるのではないでしょうか。
坐禅も同じで、どんなに素晴らしい“理念”や“思想”、忘れ難い“気持ち”を僅かでも持込むと力みとなり坐禅の邪魔になるだけです。

『只管打坐(しかんたざ)』これが道元禅師の示す坐禅です。

『万事を休息し、諸縁を放下(ほうげ)し、一切為さず』と瑩山禅師も坐禅の用心を記されています。

日頃、私たちが常に意識しがちな、損得、取引、効率、見栄を離れて、坐禅堂で身と息を調えて端坐(正しく坐禅)をしていると、自他を分ける喧嘩が止み平らかに和んできます。そういった時は“気負い”も“ノボセ”も無くなるので“イライラ”や“悲しみ”も自然と遠のいていくこともあるので、坐禅は「安楽の法門」だと禅師は云われるのです。

修行するぞ!と意気込んで、何かしらを期待して来る人に「坐禅の時は目標(理想)に向かって頑張る事を、先ずは止めて下さいね。」とお願いすると、坐禅は想像していたイメージとは随分違うなと思われます。
しかし、無意識に理想ばかりを求め続ける“苦しみ”の解毒が『坐禅』にはあるのだと思います。

坐禅とは、『大安楽の法門です。

皆様も、和尚と“ただ坐る坐禅会”に参加してみませんか。